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あくまで"北"へ帰ることを主張する父と反対する日本にとどまることを主張する母はよく口論した。
 父は新聞記事を取り出して言った。
『教育も無料、祖国はすべてを保障する』
『お金持ちの北朝鮮、ドロボーのいない国』
 日本の文化人、著名人も北朝鮮のことを躍進する社会主義の国と絶賛している。"北"へ帰ればバラ色の未来が待っている。
 自分の友人で日本人女性と結婚したものも何人かは一緒に"北"へ行った。彼らは皆、上手くやっている。
 しかし、直美は言葉も通じないところには行きたくないと二の足を踏んだ。
 父はそんな母に苛立った。



 結局、北へ「帰る」ことを主張する父と、北へ「行く」ことを拒む母との溝は埋まることはなかった。
 朴承鉉と直美は正式に離婚した。親権は母親にある。手続きを終えた父は佳祐に、
「元気でな」
 最後にそう言い残して"北"へ渡った。佳祐は家を出た父の後ろ姿を今でも忘れない。不思議と涙は出なかった。
 一九六O年六月二十四日。第二十七次帰国船だった。
 焼肉店は直美一人が切り盛りした。店は繁盛したので経済的には困らなかった。しかし、母は仕事があるので甘えたい盛りの佳祐と一緒にいてやれることはできない。佳祐は学校が終わると自分でネギを切って麺を茹で、ラーメンを作ったりした。あるいは母親が夕方作ったものを温めて食べた。学校から帰っても友達と遊ぶことはほとんどなかった。ずっと一人でテレビを見ていた。小学生でありながら深夜まで起きていて深夜テレビを見ていた。
 そんな家庭のなかでの暗さを悟られまいと、外では努めて明るく振舞った。そうしないと精神のバランスが保てなかったのかもしれない。
 母親はその後、どこで知り合ったのか知らないが日本人の男と再婚した。たぶん店のお客だろう。
「この人があなたの新しいお父さんよ」
 母にそう言われたが佳祐はいまひとつ釈然としなかった。新しい父には連れ子の女の子が一人いた。佳祐よりも四つ上であった。朴佳祐、日本名、木村佳祐は母親の再婚により、この名前を名乗ることになった。
 佳祐少年、九歳のときだった。海の向こうに渡った父はどうしているのだろう。あれから手紙のひとつも来ない。冬の日本海をぼんやりと佳祐は見つめていた。
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